なぜ今更だけどFinal story

小犬のワルツ





三月、風よ、四月は雨よ、
   五月は花(はアな)の花ざかり。     

March winds and April showers
     Bring forth May flowers. 

  マザーグースの唄より(北原白秋訳)


 
 居間のコンソールテーブルの上のクリスタルの花瓶に庭から摘んできた薔薇をいけていると、扉が突然バタンと開いた。
「ママ!!」
キャンディが振り返るとアメリアが花瓶の花と同じような真っ赤な顔をしてそこに立っていた。
「あら、お帰りなさい。
 学校は楽しかった?
 そうでもない…顔ね」
「ママっ!」
アメリアはキャンディに飛びついて突然泣き出した。
「あらあら、どうしたの、いったい。
 またチャックとケンカでもしたの?」
「セーラがパパの悪口を言ったの!
 わたし悔しくて。
 パパは貴族の出だってみんな言っているけど、そんなの嘘だって。
 公爵家の本当の子供じゃないって。
 役者だからきっと嘘をつくのも上手なんだって侮辱したのよ」
ー セーラ?ああ町長の気の強いお嬢さんね。
 まだ9歳くらいなのに今の子はゴシップネタの話をするのかしら。
「ハニー、泣かないで。
 あなたはそれで何が悲しいの?
 悔しいの?」
「パパを嘘つき呼ばわりされたことよ」
「そうよね、パパは嘘つきなんかじゃないわ」
「わたし彼女にはっきりそう言ってやったの。
 『テリュース・グレアムは嘘つきなんかじゃありません。
 みんなに尊敬される立派な俳優です』って。
 それでお迎えの車が来たから帰ってきたの。
 あの子の前では泣いたりなんてしていないわ」
「えらいわ。
 さすがパパとママの娘だわ。
 あなたの言う通りよ。
 パパは立派な人だわ」
「でもパパのことを何も知りもしないで嘘つきなんて言うのは失礼だわ」
アメリアはまだ怒りながら涙を流していた。
「ねえ、あなたに見せたいものがあるの」
キャンディはアメリアの手を取って隣の書斎に行った。
書斎の隅の古い写真がたくさん飾られてある場所に立ち、一つの写真立てを指差した。
「これを見て」
古い家族写真。
男の人はぎこちない笑顔で立って、女の人は輝くような笑顔で赤ちゃんを抱いて座っている。
若く美しい女の人には見覚えがあった。
「グランマ?」
「そうよ」
「赤ちゃんはパパ?」
キャンディは笑顔でうなずいた。
「男の人はグランチェスター公爵。
 パパのお父様。
 グランマと公爵は結婚は出来なかったのだけど、愛し合ってパパが生まれたのよ。
 神さまの教えとは少し異なるけれども、神さまも時折手違いをなさるみたいなの。
 それでも、ねえ、とても素敵なことだと思わない?
 二人が出会わなければ、パパはこの世にいないのよ。
 そしてアメリア、あなたもね。
 ママはそんな奇跡を神様に感謝しているのよ。
 パパは公爵に引き取られたから公爵家の息子ってことは嘘じゃないのよ。
 いずれにせよ、パパは自分の努力で舞台俳優として成功したの、家柄は関係ないわ。
 親が誰であろうとあなたの言う通りパパは立派な人よ。
 悔しいことなんて何もないじゃない。
 あなたは真実を知っているのだから。
 真実を知らない人がかわいそうなだけなのよ」
少し間をおいて、何かに気付いたように再びキャンディは続けた。
「あなたには初めて話すことだけど、ママは自分のパパもママも知らないの。
 やっぱり神さまの手違いで、赤ちゃんの時に教会の孤児院に引き取られたの。
 居間に飾られてある古い教会と家の絵はママが育った場所なのよ」
アメリアは驚いた。
居間を見渡すように飾られてある油絵。
新緑の季節に包まれた古い家が描かれてあるその美しい絵を幼い頃から見てきた。
その家の古い木の扉の向こうには天使がこっそり隠れているのではと、いつも心躍らせながら眺めていた。
そこに隠れていたのは天使ではなく母だったのだ。
時折母はその絵を懐かしそうに愛しそうに眺めていて、そのなんとも言えない柔らかな優しい表情が大好きだった。
「でもシカゴにたくさん親戚がいるじゃない…」
「そう、大きくなってアードレーの養女になったから。
 今はみんなママの大切な家族よ。
 でもね、孤児であったことを恥ずかしいとも不幸だとも思ったことはないわ。
 恥ずかしいのは嘘をついたり、人を傷つけたり、ずるいことをしたり、神様に見られて困ることをする人でしょう?」
「でも、自分のパパやママがいなくて、ママは寂しくなかったの?」
アメリアは急に両親がいないことに思いを馳せ、今度は悲しくなり、再び涙を流しながら母に尋ねた。
「ああ、ごめんなさい。
 今度はママのために泣いてくれているのね。
 全く寂しくなかったなんて言うと嘘になるかもしれないけど、いろいろな人から愛情をもらったの。
 どんな時でも、澄んだ心で信じきって前に進みなさいって、励まされてきたの。
 孤児でなかったら、もしアードレーの養女にならなかったら、パパとも出会わなかった。
 アメリアみたいな可愛い娘にも出会えなかったのよ。 
 人生って素敵だと思わない?
 必ず神様が寄り添ってくださる。
 ママは今とても幸せなのよ。
 お願い、いつものように笑ってね。
 あなたは笑顔の方がかわいいわ」
優しく微笑む母の顔を見てアメリアも次第に笑顔になって母に抱きついた。
「愛しているわ、ママ。
 わたしはパパやママの娘であることを誇りに思うわ。
 世界一のパパとママよ」
キャンディは娘をギュッと抱きしめて
「あなたは世界一の娘よ、ハニー」
と優しく言った。
アメリアは顔を上げて
「今日はこれからピアノのレッスンがあるの。
 もう少し練習しておかなきゃ」
そう言って部屋を出て行こうとしたが、ドアの所で振り返って
「ねえ、ママ。
 チャックと今日一緒に帰ってきたの」
「知っているわよ。
 チャックは車を降りて走ってくるから、あなたより先にただいまってママの所に来たもの」
「チャックはわたしとセーラの話を聞いていて、こっそりセーラのカバンにダンゴムシをたくさん入れたって言っていたの。
 二十匹くらい…
 先生にばれて怒られても、ママはチャックを怒らないであげてね」
そう言いながらアメリアは固まっている母を横目に部屋を出ていった。

「テリィ、そこにいるんでしょう?」
キャンディは窓側を向いているソファの背後から声をかけた。
「俺が先に昼寝をしていた所には君たちが入ってきたんだけどなあ、ふぁーあ」
テリィがあくびをしながら起き上がってソファから姿を見せた。
「チャックも女の子にプレゼントとは、やるな」
「ちょっと違うと思うけれど」
「まあ、子供のケンカに親は口出しせずだ、な。
 それにしてもわざわざ自分の事もアメリアに話す必要はあったのかい?」
「だって本当の事だもの。
 あの歳で、わたしの話をどれぐらい理解できたかはわからないけれど、他人にとやかく言われる前に自分で話しておいた方がいいと思ったのよ。
 アメリアは繊細だから他人にそんなこといきなり言われたら傷つくに違いないもの」
軽やかなピアノの旋律が聴こえてきた。
「あら、小犬のワルツ。
 随分上手になったわね。
 アメリアが可愛いからセーラは嫉妬してあなたの悪口を言ったんだわ、きっと。
 アメリアは美人だし、いい子だし、お勉強もできるし…」
「キャンディ、そういうのは親バカって言うんだぞ」
「まあ失礼ね。
 わたしは本当のことを言っているだけよ」
「もっとおてんばで、気が強くてもよかったんだけどな…」
「テリィ、アメリアは繊細だけど決して弱い子ではないわ。
 きっと成長したら強い子になる。
 本当にあの子達は宝物だわ…」
その時
「キャアー」
と叫び声が聞こえた。
「何だ?」
「ジョンのナニーの声よ。
 さっきまで庭で遊んでいたのに…」
二人は急いでテラスに出た。
ナニーのアンがナラの木の下に立っていた。
木を見るとジョンが木の真ん中までカブトムシのようにゆっくりと一人で登っていた。 
「旦那様、奥様、申し訳ございません!
 坊っちゃまが…少し目を離した隙に…」
顔面蒼白でアンが叫んでいた。
「は、梯子だ!
 この間落ちたばかりじゃないか」
そう叫ぶテリュースをよそにキャンディは目を輝かせてジョンを見ながら木に近づいた。
アメリアもチャールズもお手伝いのミセス・シンプソンや運転手も木の下に集まっていた。
「梯子なんかじゃ届かないわ」
キャンディは靴を脱いで裸足になり
「スカートだから、見ないでちょうだい。
 みんな回れ右して!」
そう指図すると、子供以外はみんな一斉に木に背を向けて家の方を向いた。
ものの2、3秒で
「ママ、はやっ!」
様子を見ていたチャールズが呟いた。
「チャック、ママはジョンの所までたどり着いたのか?」
テリュースが聞くと
「もうとっくにジョンの所に着いて、さらに上に登ったよ、いいなぁ。
 ぼくも行っていい?」
「何だって?」
テリィが見上げると二人はさらに数メートル上の木の茂みの中の太い枝に悠然と座っていた。
風が吹いて木漏れ日が揺れ、キラキラと二人を包み、見上げていたテリュースは目を細めた。
「ジョン、すごいね。
 この間落ちたばかりなのに怖がらずに登れたのね」
新緑の季節の爽やかな風が、したり顔のジョンの金色の巻き毛を揺らしている。
「ジョンだってチャックみたいに登れるんだ。
 もう落ちて泣いたりしないよ。
 屋根より高いねー、ママ」
「あれが日曜日に行っている教会。
 あれはママがお手伝いに行っている病院。
 エイボン川は、ほら、あんなに遠くの方から流れてくるのよ」
川の水面がキラキラと光り、それを眺める二人の瞳も同じように輝いていた。
「そして向こうに流れて行って他の川と一緒になって大きな海に帰って行くの。
 周りを見て。
 広いわよねえ、でも世界はもっと広いのよ。
 知らないところがもっとたくさんあるの。
 ジョン、大きくなったらもっともっと遠くまで冒険するのよ。
 今みたいに勇気を持って進んでいくのよ。
 1人でもいいし、大好きな人が一緒だったらもっといいわね」
「ぼくはパパとママが大好きだから連れて行ってあげるよ」
キャンディは無邪気な幼子にニッコリと笑った。
 ポニー先生が亡くなってもうすぐ一年になる。
先生はわたしがアメリカに帰るのを待っていたかのように、夏休みにテリュース、子ども達とアメリカに帰った際に、神様のみもとにお帰りになった。
わたしはレイン先生、アニー、ゆかりのある人達と一緒にポニー先生が帰天されるのを見守った。
「キャンディ、わたしはあなたの中に生き続けていますよ」
先生に教わったたくさんの大切な言葉は、わたしの子ども達に少しずつ伝えていく。
血の繋がりはないけれど、先生とわたしを繋ぐ心を子ども達に繋ぐことはできる。
そして、いつしか子ども達からまたその子どもへ…そうして先生の魂は生き続けるのですね…。
目の前に美しく広がる田園風景が、気のせいか少し滲んで見えている。
「おーい、落ちるなよ」
下から声が聞こえてきた。
見下ろすとかわいそうに、アンは気絶してしまったようだった。
チャールズとアメリアがゆっくりと木の真ん中まで登ってきていた。
テリィが下で笑顔で手を振っている。
「パパ〜」
「あっ、ダメよ両手を振っちゃ!」


 夕食のデザートは母特製のアップルパイだった。
その後にわたしはその日のレッスンで先生から褒められた「小犬のワルツ」をみんなの前で披露した。
母は手放しで褒めてくれる事はわかっていた。
驚いたことに、辛口評論家のテリュース・グレアムもわたしの演奏を褒めた。
今日は怒ったり、泣いたり、木登りをしたり、滅多に褒めない人から褒められたり、とても疲れて早めにベッドに入った。
そういえば、かわいそうなダンゴムシ達はどうなったのかしら?



見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。
実に神はすべての人間に富と財産を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神がかれの心の喜びで満たされるからだ。  
      旧約聖書 伝道者の書18から20節より

 キャンディは聖書を閉じてお祈りを捧げた。
 子ども達はそれぞれの夢の国へ勇ましく冒険に出かけてしまったようで、家はひっそりと鎮まりかえっていた。
「あなたに演奏を褒められてアメリアはとても嬉しそうだったわ」
キャンディは夫の隣に腰掛けながら笑顔で言った。
「別に、俺はただいつも正直なだけさ」
「はいはい、そうですね」
「キャンディ、大体きみは子ども達を褒め過ぎなんだ」
「あら、だってみんなわたしの大切な宝物なんだもの。
 でも木登りはダメね。
 チャックは乗馬だってフットボールだって何だって、あんなに運動神経がいいのに…。
 わたしに追い付くのは100年かかるわ」
「まあ、それは追い付かなくてもいいと思うな…」
とテリュースがボソッと言った。
「何?」
「いや、ところで…」
テリィはニヤニヤしながら自分の額をキャンディの額にくっつけて
「俺のことは遠慮なくたくさん褒めてくれてもいいんだぜ、ハニー」
と言った。
キャンディはプイと横を向いて
「褒められることをすればいつでも褒めますわよ、旦那様」
と言った。
そうは言ったものの、横目でチラリと夫に目をやりながら
「そうね…、ハンサムでエレガントだわ」
と褒めてみた。
「見た目がよくても作法を知っていてもクズな人間をたくさん知っている」
想定内の反応だ。
「うーん、自分に厳しいわ、他人にも厳しいけれど」
「何だかあまり褒められている気分じゃないな。
 そうだな、今年の夏はニューヨーク、シカゴの公演にでた後、そこからまるまる一か月休みを取った。
 ミシガンにみんなで行こう。
 きみが育ったところを子ども達と周ろう」
キャンディの瞳が輝いて、すぐにテリィの首に飛びついた。
「本当に⁈」
「きみの大好きな季節は過ぎてしまっているが、どうだい、ハニー」
「最高ね、思いやりがあるわ!
 あなたは世界一の夫だわ!」
「今幸せだろ?」
「何でわかるの?いつも自惚れ屋ね」
「俺が今幸せだからさ」
キャンディはテリィの顔を覗き込んで、悪戯な微笑みを浮かべて
「沈黙は金かしら…」
と囁いた。


 緑の絨毯の上に色とりどりの花が咲いている丘。
ここはどこだろう?
向こうに緑の木々で囲まれた古い教会が見える。
家の木とは比べ物にならないくらい立派なナラの木が葉を茂らせている。
「パパ、ママ…チャック、ジョン…」
誰も返事をしない…
でも不思議と寂しくはない。
優しい温かな柔らかな何かに身体を包まれて…そう、まるで母の腕の中にいるような感じでとても心地よい。
新緑の香りを乗せた風が草花を揺らし、サワサワ、サワサワ、花が踊り、天使が笑っている。
その中をゆっくり降りて行くと教会からオルガンの音色と歌声が聞こえてきた。
ー こどものすきなイエスさまよ〜♪ ー
子供の歌声…何?ここは天使の家?
家の周りは色鮮やかなたくさんの花が植えられている。
見上げると雲ひとつない澄み切った青空。
澄んだ心で…。
胸が高鳴り、ゆっくりと一歩ずつ近づく。
「鶏小屋の掃除当番は誰かしら?」
中から女の人の声が聞こえてきた。
「は〜い、いま行ってきま〜す」
たっ、たっ、たっ、軽やかな足音と木の廊下の軋む音。
こちらに天使が向かってくる。
 ドアノブが回った。






おわり





スポンサーサイト



PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する
 

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

| | 2020/06/25 (Thu) 22:35 [編集]


Re: いつも素敵なお話ありがとうございます!

こんばんは。
あたたかなご感想を頂きましてありがとうございます。恐山のイタコのように頭に降りてきたものをツラツラと書いております。喜んで読んでいただける方がいて、とても光栄で、恐れ入ります。
 三月に終わりにするといいながら、世間はコロナ禍で時間が出来たため少しだけ続けさせて頂きました。
 コロナは終息は不可能、共存のフェーズへと入っていきました。夏にマスクなどと新たな生活習慣に適応するのも大変ですが、何卒ご自愛くださいませ。

ameameshiratori | URL | 2020/06/26 (Fri) 20:29 [編集]