長い物語の序章  第二幕(3)



 彼女が出て行った後、急に全身のを力が抜けそのままソファーに腰掛けた。
そして背もたれに身を任せ天井を見上げた。
 美しく成長した彼女は眩いばかりだった。
さなぎが蝶になっていた。
しかもただの蝶ではない、ユリシーズ(3)だったのだ。 
 あの日、英雄気取りできみを手放した。
自分の人生は自分で支配できると勘違いしていた。
本当は現実が怖かっただけだったのに。
誰かに相談する勇気もなかった。
きみのいない人生は残酷だった。
しかし、あの場末の劇場できみの幻を見た時、きみの為に演じよう、語りかけようと決めたんだ。
演じる時が唯一きみと対話できる時間だった。
だからずっときみに会うために舞台に立ち続けてきた。
ただ、きみに会うために…。
莫大なセリフの量も、主役のプレッシャーも、あの別れの苦しみに比べたらとるに足りないものだった。
ー傷ついたのは私だけじゃない!ー
彼女の言葉がリフレインする。
 きみはあんな時でも他人を思いやるのか…。
 完敗だな…。
 過ぎた事、時間はもう戻らない、か…。
 少女の頃の彼女の姿が浮かんだ。
人懐こい笑顔、はにかんだ顔、すました顔、怒った顔、泣き顔、くるくる変わる表情、走って、木に登って、草むらに寝転んで、彩り豊かな彼女の思い出。

 誰も立ち入れなかった自分の心の中に、彼女はいつの間にかズカズカ入ってきてそのまま居座った。
 そして心に刺さっていたたくさんのガラスの欠片をみるみる溶かしていった。

 更にパワーアップしたな、ターザンそばかす。

 俺たちの第一幕は散々な幕切れだった。
長い間第二幕が開くことなど考えられなかった…。
柔らかな小さな手、甘い唇の感触を思い出し、笑みを浮かべ、ソファーから立ち上がり部屋をでた。
 そうだ、今また幕が上がったのだ。

深い青い瞳の中に長い間忘れられていた輝きが放たれていた。





(3)ユリシーズ  和名 オオルリアゲハ
オーストラリアの北東部、ニューギニア、ソロモン諸島の北西部などに分布。幸せを呼ぶ蝶ともいわれている。

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